くにうみの先見

「平成の農地改革」で田園からの産業革命を

農業は日本の足手まといなのか。他の先進国が、高付加価値生産、高自給率、環境保全を成功させているにもかかわらず、日本農業はまったく崩壊してしまっている。「救済」「収益移転」といった従来の政策を捨て成長性のある産業に転換することは日本でも可能なはずだ

戦後日本の成功の方程式は急速に崩れた。大都市にヒト・モノ・カネを集め、優秀な製品を安く作って輸出して得た富を公共事業や補助金などのかたちで地方に分配する。地方でも雇用の機会が増え、豊かな消費社会が実現し、結果の平等が社会の安定と成長をもたらす。そうした時代は財政破綻と中国の台頭とともに終わろうとしている。
近年の製造業の中国など海外への進出は大企業の収益を大幅に向上させたが、それと同時に日本の国際収支の構造を急速に変化させてしまった。日本の貿易黒字は約一〇兆円。一方で、日本は世界一の農林水産物の輸入国であり、農林水産物の貿易赤字は約七兆円。
これに、観光収支(貿易収支には入らない)の赤字の約三兆円を加えると一〇兆円になり、貿易黒字額全体に等しくなる。ものづくりで稼いだ外貨を食料と海外旅行に使っている構図だ。自動車をはじめとする製造業は、今後いつそう、中国などへの進出を加速する予定だ。結果として国全体の貿易黒字は縮小し、円安による輸入コストの増大などを通じて食料輸入や海外旅行には大きなブレーキがかかるだろう。三〇年にわたって進んできた食料の輸入依存は重大な転機を迎えることになる。同時に地方の製造業の雇用も減る。
にもかかわらず、小泉政権の経済政策は地方への支出の削減、銀行依存の金融制度を変更しないままの地方銀行処理にみられるように東京中心というこれまでの路線を、さらに強化する方向にある。コストの高い大都市部への集中を加速すれば、個人、企業、財政いずれにとっても負担は上昇し矛盾は深まる。地方の自立と主権、産業構造の転換、過密と過疎の解消などの真の構造改革は進まない。
いまや農業と地方が自立し元気になることが最重要の時代に入っていることを認識しなければならない。日本の農業は、先進国型の産業に転換することに失敗して衰退してきた。だからといって、日本では農業の可能性は、もうないということにはならない。輸入依存の限界、安全性の問題、と日本は食の危機にあるといっていい。このことは逆に農業が産業として大きく成長するチャンスと考えることができる。
そのためには単に食料輸入を制限するのではなく、消費者に選択される食を提供し、さらに海外にまで消費者が広がるように農業を抜本的に改革する必要がある。消費者の観点から食の安全を急速に高めなくてはいけない。真の国益からみて食料をめぐる非合理な通商産業政策には大改革が必要だ。同時に、農家保護を謳いながら農業衰退の原因となってきた農業政策を抜本的に改めて、農家と農村が消費者と共存共栄できるものに変えなくてはいけない。ほかの先進国同様に、自給率が高く輸出するくらいに豊かな「農ビジネス」を創造しなくてはいけない。そして、本来は世界で最も変化に富む自然環境と歴史文化を活用して、国民が都会から田園に移り住むようになり、海外よりも国内を旅行したくなり、また日本にあこがれてくる人が大きく増えるように、自然、環境、歴史、風土、町並みがもっと大切にされれば、かつての美しかった国土を新しいかたちで取り戻せるだろう。
農業だけでなく食・住・流通・医療健康・老後・観光・スポーツ・自然環境、といった幅広い生活分野の産業が田園で大きく発展し、地方が二十一世紀のフロンティアになって日本をリードする時代を迎える。大都市と田園がさまざまな結びつきを強めれば、個人にとってもっと豊かな社会になる。
「田園からの産業草命」が、二十一世紀に本当に豊かな日本を作るための必然となる。

こうしたさまざまな課題を実現するためには、当初の目的を達成したあとは農業発展と美しい国土作りを阻害している農地法、都市計画法などを抜本的に改革する地域主権の「平成の農地解放」が必要だ。農耕民族といわれる日本人の深い本質には、恵みをもたらす自然・環境への畏敬と、持続可能な循環社会を営むための都市を含めた共同体の実践があった。二十一世紀の地球が求めているものとも通じる。奇跡的な戦後の繁栄のエートスには紛れもなくこの民族の本質が関わっていたが、いま急速に失われようとしている。幕末に西洋人を魅了した美しい国土は、戦後日本人の手で破壊されてきた。技術と経済効率性と世界の流れからだけの発想でなく、祖先から受け継ぐ知恵と民族のDNAを謙虚に尋ねて、しかも二十一世紀の民主主義と情報社会の枠組みの中で、新たに受け継ぐべき本質に基づいた田園を作ることがわれわれの課題だ。

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